
インバウンドが急増したことで、東京の主要駅を歩けば、半分が外国人ではないかと思えるような風景が、もはや日常になった。
私の暮らす鎌倉も例外ではない。段葛を歩いてみると、7割が外国人観光客、2割が日本人の観光客、そして残る1割ほどが地元の住民かもしれない。
ここはどこだ?私は誰だ?
そんな気分になる瞬間がある。
では、日本という土地に暮らす「私のアイデンティティ」とは一体何なのだろう?
「日本人」とひとまとめに言っても、北方系・南方系の混血で、明確な民族的定義があるわけではない。
唯一の共通項といえば、日本語のネイティブ話者であることくらいか。
日本で生まれ、日本で育ち、日本の学校に通った。
それだけで、「この国に住む権利」があると言えるだろうか?
この先、少子化がさらに進めば、人口を維持するために日本社会は外から人を迎え入れざるを得ない。
すでに多くの分野で、外国人が不可欠な労働力として、あるいは消費者として日本社会に深く関わっている。
それを「脅威」と感じるのは、先にここにいた日本人の傲慢ではないのだろうか?

世界は今、自国第一主義の波に飲まれている。
どの国も「自分たちの国は自分たちだけでやっていける」と思い始めたように見える。だが、実際にはどの国もアメリカ頼みの自国第一主義だっただけで、世界中が右往左往している。
そして、そのアメリカ自身は今 “Make America Great Again” を掲げている。
建国から250年足らず。先住民を排除し、各地から集まった人々によって築かれた国。その大半が、言ってみれば「よそ者」だ。
アメリカ大陸の資源、肥沃な土地は、本来誰のものだったのか?
日本の国土を「使う権利」は、誰が持っているのか?
ロシアはなぜ、他国であるウクライナを力で従えようとするのか?
イスラエルとイランの対立は、どうすれば言語化できるのか?
国土、民族、言語、宗教……人間を分ける方法はいくらでもある。
そして、分けた瞬間に利害の対立が生まれ、それは簡単には解決できない。
けれど、言語という壁だけは、AIが近い将来取り払ってくれるかもしれない。
もし言語の壁がなくなれば、誤解のいくつかは減るだろう。
そのとき、民族や文化の対立にも、わずかに光が差すのではないか。
小さな希望だが、そこに未来への突破口があると信じたい。