こんな気持ちでいられたら

ロートル病理医。地味な医者ですが、縁の下の力持ちでいられることに誇りを持っています。

さびしい思い・・・病理はつい忘れられてしまう・・・

先日、フラットコーテッドレトリバーのナイトの組織球腫の件で、動物病理の先生にきちんと診断していただいてとても嬉しかった。自分なりに、ほかの病理医に対するリスペクト、さらには、自分が病理医になろうと思った二つのこと(外科の臨床実習のときに迅速診断の結果が出るまで、手術室の時間が止まった時、と、自分が関わっていた患者さんが亡くなってその病理解剖に立ち会った時)をあらためて思い出したのだが・・・

勤務先の病院が出しているメールマガジンで、某専門診療科の先生が
「もちろん他の診療科との連携なしでは最善の医療は提供できません。当院では一般外科、内科、小児科、循環器科放射線科など各専門診療科と協力し、最善の管理、治療を提供しています。(一部改)」
いろいろな科を列挙していたが、「あれ?病理は?」。

その科の検体、年間数百は扱っているし、カンファレンスにだって参加して、関連症例については、それなりに準備してプレゼンもしているのに・・・


結局のところ、臨床にとって、病理は単なる検査部門でしかないということか。

そうまでいかなくても、ついつい忘れられてしまう。


「やっぱり病理って、こんなものか」
病理は患者さんからの声も聞こえてきにくく、モチベーションを保つための頼みは臨床医からの声。

こういうことがあると、「なんのためにがんばっているのだろう?」と思ったりもする。
私の努力が足りないだけだし、こんな言い草も子供っぽい、いじけたものとは百も承知であるのだけど。なかなか、さびしい思いだった。
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