
花見の散歩に行こうと、今日は弁当は作ってもらわず、駅までの出勤は妻とアンに送ってもらった。
これからの3日間、天気は雨の予報、花散らしの雨となりそうだ。
桜とは、実に美しく、儚い花である。
毎年そのことをわかっているつもりでも、花が散ってしまえば、また忘れてしまう。

鶴ヶ丘八幡宮の段葛、満開の桜の中を歩いたが、二の鳥居にさしかかったあたりで雨粒が頬に当たり始めたので、そこで引き返してもらった。
駅まではもう直ぐだ。
妻たちはあまり濡れずに帰宅できただろうか。

中東情勢は依然として先が見通せない。
かつてはアメリカが乗り出せば、ある程度の決着がついた時代もあったが、今や戦いの様相は複雑化し、簡単に終わるものではなくなっている。
双方からさまざまな情報が流れてくるが、何が真実なのかは容易には見えない。
イランではすでに数千人の命が奪われているという。
本来失われる必要のなかった命であり、許されることではない。
ウクライナでも、ガザでも、同じことが繰り返されている。
戦争を起こす「指導者」は、必ずしも個人の意思だけで動いているわけではないのかもしれない。
さまざまな力が積み重なり、逃れられない圧力となって、最終的に決断へと至る。
その構造をどう呼ぶかは別として、どこにでも似たような力は存在し、それぞれの利益のために動いている。
しかし、その背後で失われる命の重さは、あまりにも大きい。
そんなことを考えていると、人間という存在が自律的に意思決定をすることの難しさを思わずにはいられない。
いっそのこと、人間ではない何かに判断を委ねた方がよいのではないか、とさえ思うが、なかなかそうもいかない。

ちらほら散り始めた花びらを見ると、その美しさとは裏腹にそんな少し悲しい気分になる。
桜のように、ただ咲いて、ただ散るだけであればよいのかもしれないが、人間社会は残念ながらそう単純ではない。