
日本海側には久しぶりにまとまった雨が降るそうだ。
ちょうど今は、米粒が大きく育つ「登熟期」とのことで、この時期の水の管理はとても大切だ。
どうか、この雨が渇水を乗り越える恵みの雨となってほしい。
ところで、その「米」について、農林水産省によるこれまでの需要試算がいい加減だったというニュースがあった。
言い訳としては「インバウンドによる需要増を見込んでいなかった」とのことらしいが、
そんな短期的な要因で説明しようとするのは、本質的な問題のすり替えだ。
目先の変動を「最大の原因」として見せかけるような説明では、納得できるはずもない。
そしていよいよ政府は、増産へと舵を切るという。
だが、減反政策が始まったのは1970年。もう50年以上も前のことだ。
私は長いあいだ・・・子供の頃から、この歳になるまで・・・「なぜ米を作ってはいけないのか」がわからなかった。
そして今になって政策を変えるというのであれば、これまでの減反政策が間違っていたということではないのか。
ならば、誰がその責任を取るのか。
例によって、誰も謝ることはないが、農政に関わってきた政治家と官僚の責任は、あまりにも重い。
減反政策の50年のあいだに、
失われた農地、離れていった農業従事者、そして米価に振り回されてきた国民たち。
彼らに対して、どのように責任を取るつもりなのだろうか。
かつては「子どもなんて放っておいても減りはしない」と思われていた。
気づいたら、もう引き返せないところまで減ってしまっていた。
米も、同じ道をたどるのではないか。
今さら増産に舵を切ったところで、すでに「担い手」は失われてしまっている。
政策転換が間に合えばまだいいが、ここでもまた、同じように手遅れになるのではないかという予感がある。
やはり、これまでの政権与党と、“優秀”と言われる官僚機構”の責任は大きいし、その責任は誰もとならい。