こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

絶対に覆らないであろう正義

今日も各地で40度越えか

80年前の今日米国によって広島に原爆が使用された。

戦況は圧倒的に米国に有利な状況だったが、民主党トルーマン大統領は長崎にも原爆を使用して日本の無条件降伏を引き出した。

広島長崎で20万人以上の人が亡くなり、原爆使用はもはや虐殺としか言いようのない戦争犯罪にほかならないが、米国は戦争犯罪ということを認めることはないだろう。

米国にしてみたら、戦争終結をうながし、多くの人の命を救ったということで、原爆使用を否定することは未来永劫ないに違いない。

米国にとって、原爆使用は正義だったのだ。

 

そもそも、正義とは何なのだろうか。

立場によってそれがいかに簡単に塗り替えられるかを考えさせられるのが、今、NHKで放映中の連続テレビドラマ「あんぱん」だ。

第二次世界大戦のうち、太平洋戦争は日本が米国に対して仕掛けたもので、ある程度版図を広げたところで手打ちして済ませようと思っていた甘い目論見が崩れ、最後には無条件降伏まで追い込まれたものだ。

奇襲攻撃を受けた米国が怒るのは当たり前で、完膚なきまでに叩き潰されたわけだ。

米国にとっては日本を叩き潰すまでが正義であって、そのためには原爆の使用もその手段の1つであり、それが正義であるという論理は今も覆っていない。

一方、戦争に負けた日本は戦勝国の論理、すなわち米国の正義こそが正義であることを受け入れざるを得ず、今日に至っている。

 

“正義は覆るもの”という考えも、実際は弱者の論理にすぎず、強者の“正義”に正面から挑むことは難しい。

無論、その強者がいつまで強者でいられるかは別の問題だ。

強者が強者でなくなるのは、強者に対する弱者の存在が無くなるときであり、原爆投下が”悪”であったと認める日が来るとすれば、それは地上から国境線が無くなった時、あるいは地球的ガバナンスが確立した未来だろう。