こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

生きとし生けるものの理不尽

すっきりしない空模様

悪質ホスト問題に関連して、売春防止法のあり方も改めて議論されているという。
その中では、売る側だけでなく、買う側の責任も問われることになるらしい。

売春という行為そのものの是非について、ここで議論するつもりはない。

なにせ、スパイ、政治家より古い職業と言われるほどで、数千年の歴史があるという意味では、根源的な職業ともいえるからだ。

それよりも、なぜ売春するに至ったのかということを考える必要がある。

 

これは、トクリュウにしてもそうで、なぜ犯罪に手を染めるようになったのかということを明らかにしていかなくては、議論はできない。

種々の裁判で、犯罪を起こした人の生い立ちに言及されることが少なからずある。

しばしば報道されるのは、貧困、親からの愛情不足などであり、今回のニュースでも、愛情不足からホストクラブに通うようになり、そのための金を売春で稼いだというようなことを語っている女性がいた。

こういう話を見聞きするにつけ、人間社会とはいかに不公平にできているかということを痛感する。

裕福な家に生まれ、何不自由なく勉学や趣味に励み、幸せに育つ人がいる一方で、そうでない人がいる。

理不尽な話だと思うが、逆に完全な平等などあり得ないというのも、また事実だ。

生まれた地、肌の色、体格、見た目。人間を差別化する要因は無数にあって、それらの差異をなくすことは絶対にできない。

 

これは、人間に限った話ではない。

動物でも、優れた遺伝子を残すためにメスはオスを選ぶし、そのようなカップルから生まれた子どもが生き残っていく。

生命の多様性といったところで、所詮そのようなものなのだ。

生きとし生けるものは、およそ理不尽な存在なのだ。