こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

親友に会いに福島へ

福島で学会があり、夜、中学高校からの親友と会った。

前に福島に行ったのが、東日本大震災のあった2011年の8月だったので、もう6年ぶりだ。福島は近いようで、遠い。


友達というのはなんなのだろう。単なる顔見知りではなく、友達。

人との出会いはなにかをきっかけとするものだが、大抵は学校とか仕事、稽古事などでの出会いが始まりとなるだろう。そういう出会いというのは必然なのか、偶然なのかどうに考えていいのかわからない。学校であれば、親の住む場所、学力、さらには部活動などによって交際範囲は狭まり、そうした中に気の合う人がいて、仲間となり、友人となる。たまたまの巡り合わせで出会っただけの仲が友達になるというのは、不思議な感覚だ。

友人といってもたまにしか会わないような仲の人もいれば、親密に付き合う仲の人もいる。どのような付き合いがいいのかは互いの考え方があるのでそれぞれだが、できれば長く付き合えるといい。というか、付き合いが終わるということは、仲違いか何かで別れるということだから、そういう寂しい思いはしたくない。

どのようなタイミングで付き合い始めたら親友となるのかもよくわからない。竹馬の友からといったところで、それはただのご近所さんだっただけだ。大学からなら同じ方向性を持った者同士といえるが、利害も絡まってくる可能性があって、それが友人といえるか難しい。社会に出てからの付き合いだと、互いに人生で背負ってきたものが違いすぎて友人になることができるか怪しい。互いの過去など関係ないといっても、話していくうち意外な素顔を知って驚くこともある。

それはさておき、友人とは10年ぶりに会った時、「よう!」という一言でそのブランクを消すことができるような関係がいい。


今日も親友とはそんなふうに再会した。積もる話は次から次へとたくさんあって、結局遅くまで飲んでしまった。

別れるときに、握手をしたら、「もう、福島は大丈夫なんだよ。」と言っていたのを聞いて、安心した。

 

何を言っても分かり合える

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