
通勤時は、なるべく空いている車両やドアを選んで乗るようにしているのだが、昨日の帰りはホームに降り立った途端に電車が来てしまい、かなり混み合う場所から乗ることになった。
一日中顕微鏡の前に座っているので、座るのが体に決してよくないことはわかっているので、立って乗るのもやぶさかではない。
ただ、このパソコンの入った重い鞄を担いでいると、しばらくすると座りたくなる。
幸い、次の大きな駅で目の前の席が空き、座ることができた。
しばらくスマホの画面を眺めて過ごしていたが、四、五駅過ぎたところで、ヘルプマークをつけた男性が乗ってきた。

七十歳ぐらいだろうか。
見た目は元気そうだが、どこかに障害を抱えているのだろう。
空席がないのを残念そうに見まわしながら、吊り革につかまって立っていた。
私の隣の若者二人は、気がついているのかいないのか、スマホゲームに興じている。
向かい側に座っている三〜四十歳の男性たちも、スマホを覗き込んで特に反応を示さない。
二駅ほど過ぎたところで、隣の若者の一人が電車を降りた。
これで座れるだろうと、私がほっと胸をなで下ろしたその時、ヘルプマークの男性の隣に立っていた男性が、さっとその席に座ってしまった。
ヘルプマークの男性は動作が緩慢で、椅子取りゲームに負けてしまったのだ。
耐えかねて私が声をかけ、席を譲った。
周囲にいた、私よりどう見ても若い男性たちは知らん顔。
網棚の上に重い鞄を載せ、せめて少しぐらいばつの悪そうな顔をしてくれてもいいのに、などと思いながら、私はまた吊り革につかまった。

ヘルプマークやマタニティマークをつけている人の多くは、それを他人に見せなければならないほど、つらい事情を抱えている。
外見からはわからない病気や障害もある。
だからこそ、周囲にはそれなりの配慮が必要だ。
ちなみに最寄り駅から勤務先の病院まで乗るバスでは、元気そうな人はたいてい職員で、それ以外の人は患者さんや付き添いの人だとわかる。
そのため、なるべく席を譲るようにするか、初めから一番奥の、途中では席を譲りにくい場所に潜り込むようにしている。
電車やバスで座りたいと思うのは、誰でも同じ。
私自身、最近では席が空いていれば座ることのほうが多い。
学生時代は立っているのが当たり前だったし、今でもこのPC入りの通勤鞄さえなければ、まだ何とかなるのかもしれないが、一日の仕事を終えた後となると、なかなかそうもいかない。
優先席があるのだから、そちらへ行けばよい。
グリーン車を使えばよい。
混雑する時間帯を避ければよい。
そもそも電車など使わず、自家用車やタクシーを使えばよい。
そんな言い分もあるのかもしれない。
しかし、体力のある人が、体のつらい人のために、ほんの十分、二十分立つ。
そのぐらいのことは、社会の中で互いに引き受けなくてはいけないのではないだろうか。
そんなことを考えながら、ああ、やっぱり疲れるな、と心の中でつぶやき、終点まで電車に揺られて立っていた。