こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

人間ばかりで生きているわけじゃない

梅雨の晴れ間

昨夜も鶴岡八幡宮の裏山を越えてきたであろう迷い蛍が庭先を飛んでいた。

この間の子とは別だと思うが、他にも何匹もいるのかもしれない。

儚い蛍がこうやって生き延びているのを見るといじらしくもあり、その逞しさを感じる。

 

もう当たり前となってきた人里へと進出する熊。

県庁所在地である宇都宮にまで出てきているというのは驚きだ。

熊がもし私が普段使っている湘南新宿ラインに乗ることでも覚えたら、新宿や渋谷はおろか横浜や鎌倉まであっという間だ。

賢い熊のことだあながちないわけではない。

仮にそんなことになって段葛を熊が走り抜けることになってもおかしくない。

熊はウサインボルトより早く走るし、泳ぎも木登りも上手だ、そして何より力がある。

残念ながら人間と熊は生活圏を同じにして暮らすことはできない。

 

生活圏などというものは人間が勝手に線を引いているものであって、蛍にせよ熊にせよ、生活圏がどうこうということは考えていないだろう。

でも人間が、彼らを勝手に連れてきたり、彼らのいたところに進出しているだけで、その境界が破られてしまったということだ。

この世の中、人間ばかりで生きているわけではない。

 

熊を人間が狭くしてしまった森の中に押し込んでおくことはもはや不可能だろう。

というか、その狭くなった森の中にまで人間が進出するのだから熊にとって境界などないに等しい。

この狭い国土のなかで、熊と共存するにはどこにでも入り込んでいく人間の方にも自重が求められる。

やれ山菜取りだ、登山だと、どこにでもずかずかと入り込んでいるようでは、熊との摩擦を避けることはできない。

人間ばかりで生きているわけではなく、人間の側にも自重が求められる。

そのあたりのことをよく自覚する必要がある。