こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

何を見て、何を書くか

昨夜は、鎌倉は濃霧に包まれた、そして今日は朝から雨。

梅雨前線が日本列島を横切っていて、梅雨の走りのような天気で猛烈に蒸し暑い。

 

新聞を読んでいて、今日は読むような記事がないと思える日がある。
これといった事件も話題もなく、紙面が律儀に文字で埋められている。

そういう紙面を見ると、何かを見つけ、取材し、文字にして空白を埋めなければならない新聞記者という仕事は大変だと思う。

テレビのニュースでも似たようなことを考える。
これを公共の電波を使ってニュースとして流すのか、と思えるような話題を、アナウンサーが真面目な顔で読み上げている。

ラジオにしてもテレビにしても、空白の時間を音や画像で埋めているわけで、やはり空白を埋めるというのは大変な作業だろう。

 

病理医の仕事もこれに似たところがある。

病理診断は、新聞の記事やニュース番組とは違って、紙面や放送時間を埋めるためのものではない。
しかし、真っ白な空欄を文字で埋めなくてはいけないという点では似ている。

病理医は、見たものについて、こんな感じ、とか、悪そうですね、などと感想を言っていればいいわけではなく、それらをいかに言語化するかにかかっている。

顕微鏡の奥には数万の細胞がいて、それらがさまざまな顔をして、さまざまな形を作っている。

それがどのような種類の細胞からなる組織で、どのような生物学的態度を取るかは、一つ一つの細胞の姿形を見て、それらの全体像をみて、臨床所見を確認して診断に進む。

その診断というのが、頭の中に取り込んだ諸情報を統合することであり、それこそが病理医の仕事だ。

所見を拾い上げ、統合して言語化する。

だが、その所見が何を意味するかがわからないと、統合のしようがない。

AIを使ったら、ある程度は診断はまとまるが、その手前の段階こそが病理医の真骨頂となる。

はたから見るとじっとしているようだが、頭の中ではいろんな専門知識がぐるぐる回っている。

 

新聞記事だって、ネタになるものを取材して、それを統合しなくてはいけない。

AIを使えば、いくつかの事実をならべたら、それなりの記事にしてくれるだろう。

それでも、AIは取材には行ってくれないから、ネタの収集は優秀な記者でなくてはできないだろう。

そういう意味で、目の前に広がる社会から何を見出すかという作業は、顕微鏡所見からどんな病理病態を考えるかという作業に似ているかもしれない。

そして、それを言語化して空白を埋めるというのは大変なことで、腕の良し悪しが試される。

AIは、集められた情報をそれらしい文章に整えることはできる。
しかし、顕微鏡の中の組織のどこに違和感があるのか、社会の中の何が記事になるのかを最初に見つけるのは、あくまでも人間の仕事だ。

空白を埋めるとは、単に文字数を増やすことではない。
見えているものの中から意味を見出し、それを言葉にすることなのだ。

濃霧の夜