
昨日は一足早く東京の母のところへ妻の作ったリースをプレゼントに持って行った。
大型連休2日目は憲法記念日。
日本国憲法というものは、日本という国を形作る背骨のようなものだ。
これが曲がっていたり、折れていたりすれば、大変なことになる。
しかし、その存在は空気のようで、普段それを意識することはほとんどない。
憲法がどれほど現実に影響しているのかを、あらためて感じさせられる出来事が先日あった。
特に支持しているわけではない政党の党首が、中東の紛争に関連して、ペルシャ湾の機雷除去のために掃海艇を簡単には派遣できないのは憲法の規定によるものだと述べていた。
また、首相がアメリカ大統領に対して「できることとできないことがある」と伝えていたのも、同じ範疇のことなのだろう。
戦争をしない、戦争に加担しない。
それは人間としての大前提である。
戦争は人の命を奪うだけでなく、多くの生命を殺戮し、人々が積み上げてきたものを一瞬で破壊する。
日々、その映像を見せられ、戦争への恐怖が麻痺してしまいそうだ。
今議論されている憲法改正は、その前提を揺るがすものなのだろうか。
やられたらやり返す、やられる前にやる。
そうした考え方を制度として許容する方向へ進むのか。
あるいは、別の側面での見直しなのか。
正直なところ、私は憲法の全体像を十分に理解してはいない。
国民投票となったとき、私は何を基準に判断すべきなのかわからない。
いまさら憲法全文を読み直しても、すぐに理解できるものではない。
だからといって、先の衆議院選挙のように、首相の人気投票の延長のような形で判断するのは危うい。
自主憲法を求める意見にも一理はある。
しかし、戦後のさまざまの制約の中であったとはいえ、現在の日本国憲法もまた、日本人の関与のもとに形作られてきたものである。
憲法は静かに、しかし確実に国のあり方を規定している。
気がついたら独裁政権、というような事態を招かないためにも、国民一人ひとりが、自分の問題として考えるしかないのだが、果たしてそのことを考える人はどれほどいるだろう。
