こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

こういう時が書き入れ時

山桜も消え

この季節らしい、まだ少し冷気の残る朝。

山の新緑が目に眩しい。

5月の連休まではこんな穏やかな気候が続くはずだ。

はず、というのも最近の激しい気候変動でどうなるかわからないのだが、そうあってほしい。

 

先週、秋にある学会のエントリー、すなわち抄録の登録が済んで、ちょっとほっとしている。

この演題が採択されるかはまた別の話だが、その時はその時に考えればいい。

別に何か失うわけでもない。

 

こういうふうに、仕事の負荷が少し落ち着く時がある。

そんな時は、少し長いスパンの仕事に取り掛かることができる。

ある意味、書き入れ時だ。

どんな商売もそうだろうが、繁忙期に備えて品物を揃え、準備をしておく。

この準備を怠ると、いざという時に力を発揮できない。

うなぎ屋は土用の丑の日のために一年前からうなぎを仕込み、蕎麦屋は大晦日に向けて準備を整える。

 

たいていは、そういうものだ。

しかし医者の場合は、患者さんがいなければどうしようもない。

怪我や病気をする人がいなければ、医者はいらない。

だが現実にはそうもいかない。

人の容体が悪くなることを望んでいるわけではないが、結果としてそれが仕事になる。

因果なものだ。

必要に迫られて発生した仕事なのだから、そう卑下することもないのだが、

それでもどこか奇妙な感覚にとらわれることがある。

医者に「書き入れ時」などあってほしくはないが、災害や事故、感染症の流行などで、そういう状況が生じることもある。

 

それはさておき、いまのところは時間的に少し余裕がある。

このあいだに、私もあれこれ仕込んで、来るべき“その時”に備えておきたい。

新緑を背景に