こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

プラタナスの花

 

晴天

プラタナス(スズカケ)の花が咲いた。

あまりに小さく、花なのかまだ蕾なのかはよくわからないが、多分これは花だろう。

父の別荘から我が家に移植して、かれこれ5年ほどが経つ。

コロナ禍の初め頃に父が亡くなり、別荘は維持できず、母が売ることにしたときに、

 

「お父さんが、ヒポクラテスの木の末裔としてもらった木だから、あなたのところで育ててくれないか」

 

と頼まれ、引き受けた木である。

木だけ譲ってもらったわけだが、初めのうちはあまりに大きな葉を大量につけるので驚いたが、それにも最近やっと慣れてきた。

この冬、いくつか実がなっているのを妻が見つけた。

クリスマスリースにでもつけたらよさそうな可愛い実で、へえ、プラタナスにも実がなるのかと知った次第である。
やっとこの地にも慣れてきた、ということだろうか。
今年は花をしっかり見ることができそうで楽しみだ。

 

ヒポクラテスの木、というのは、あの医聖ヒポクラテスがその木の下で弟子たちに医学を教えたとされ、その枝の苗木が世界中に株分けされ、そのうちの一本を父が譲り受けたというものだ。

こんな大きな木をいただいても、植える場所がなくては困るので、父も扱いに難渋したようで、当初は長らく勤務した総合病院に寄付しようと考えたらしい。
だが、それも丁重に断られたという。

仕方なく別荘に植えたものの、父も木より長生きできるわけもなく、現在に至っている。

花筏

今、高度成長期に全国各地に植えられたソメイヨシノが古木となり、倒木のニュースがいくつも伝えられている。

残念な話だが、それが日本の経済の傾きと軌を一にしているようにも見えて、少々悲しい。

鎌倉でも、多くの桜が老木となり、上の方を切られたり、あるいは根元から切られてしまったものも多く、痛々しい。

桜の寿命は60〜80年と言われている。
そうすると、私が死ぬまでにこの近辺の桜は、段葛の植え替えられた桜を除けば、皆終わってしまうことになりそうだ。

プラタナスの寿命は長そうだから、この木は私よりもずっと長生きしてくれるのだろう。

 

妻が毎年テッポウムシ退治に精を出してくれているおかげもあって、なんとか持っているということもあるが、この子は、私たちのところに来て、果たして幸せだろうか。

 

もちろん、幸せであってほしい。

私が死んだ後、この子がどうなるかなど知ったことではないが、木にもまた命がある。
ぜひ、天寿をまっとうしてほしいものだ。