こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

幸せかどうかを決めるのはその人自身だけど

今日も快晴

昨日の講演はなんとか乗り切った。

しばらく講演はないので、ちょっとゆっくりできるが、次は自分が主催する研究会の準備が重くのしかかってくる。

まずはプログラム。

私の専門分野は結構狭くてディープだ。
そのせいでここに関わる病理医が少ない。

病理医がいくら少ないといっても、そこそこはいるのだが、ほとんどは癌の診断で、人手はそちらばかりに取られる。

結局、不人気なところには人も金も集まらないということになる。

同好会みたいなものだが、そこは好き者同士。
こうやってお互い愚痴を言いながら、なんとかかんとかやっている。

今度もそんな中から人を探し出すことになるのだが、人気がないので若手も少なく、頭が痛い。

こんなことをいつまで続けていられるのだろうといつも思うが、この年までやってきてしまった手前、おいそれとも逃げ出せない。

このままお払い箱になるまで頑張るしかない。
それがいつになるのかは、まだわからないが。

 

それにしても時間が経つのは早い。
もう3月も半ば。

これは早すぎる。

人生がどれぐらい残っているかわからないが、これでは何か楽しいこともできないまま終わってしまいそうだ。

今の私が幸せなのかどうかわからない。

少なくともそれを決めるのは自分自身であって、人にどうこう決めてもらうものではない。

だから、他人の幸不幸を決めるというのも不遜なことで、

  ああ、あの人気の毒に

などと言われた方からしてみれば、大きなお世話だ。

 

それでも、一握りの暴君によって人生を振り回されるというのはやはり気の毒な話で、今も世界中でそんなことが起こっている。

私自身だって、いつ日本が戦争に巻き込まれて不幸になるかなんてわからない。
すでに経済的には戦争状態にあると言ってもおかしくないわけで、そうなると、これは自分のことを幸せだなどと思っていてはいけない事態なのかもしれない。

幸せというものに決まった尺度があれば、わかりやすいのかもしれないが、そもそもそんな尺度などない。

結局よくわからない。

一体なんのために生きているのかも含め、人生とは不可解なものだ。