こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

娯楽による感動はますます多様化され平準化される

つめたい雨

 

今年の桃の節句は、雨の一日となりそうだ。
真冬並みの寒さになるということで、三月というのにダウンジャケットを着てきた。

 

冬季オリンピックが終わって一週間。
日本は今度はWBC、野球の番である。
そのうち大相撲があり、大リーグがあり、気がつけばサッカーW杯。

スポーツ以外にもさまざまなイベントがある。
去年は万博があった。

改めて見回すと、よくこれだけあるものだと感心してしまう。
さまざまな娯楽に踊らされているようにも思えるが、人間というのはどれほど刺激が必要なのだろうか。

 

私はそれほど各種イベントに熱心な方ではないと思う。
それでも浦安方面には何度も行ったし、旅行も嫌いではない。
スポーツ観戦では一喜一憂するし、映画も観る。

何かあればそれなりに興味を持つし、実際に見たり行ったりすれば心も動かされる。
これらを十把一絡げに「娯楽」という一言で片付けてよいのかはわからない。

娯楽が配信される時代となり、擬似体験も容易になった。
ある意味それらは、娯楽体験へのショーウィンドウでもある。

しかしデパートを歩くときと同じで、大量の情報の前にうんざりすることもある。
そして同時に、どれもが同じような感動のレベルに見えてくる。

桃の節句

人々の工夫によって感動の種類は広がっている。
だが、あの感動もこの感動も、それらをもし数値化することができたら大きな差はないのではないか。

仮に宇宙旅行をして無重力を体験したとしても、想像との誤差の問題であって、本質的に自分の何かが変わるわけではないのかもしれない。

それよりも鬱陶しく感じられるのは情報量の過多である。
仙人の気持ちが、なんとなくわかる。

仙人になれたら、少しは人生が楽になるのかもしれない。
そんなことを、ふと思う。