こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

AIは文化の壁をどこまで低くするだろうか

体感温度−5度

大きな学会だと、演説の横に同時通訳された日本語訳の字幕が出る。

スクリーンに映し出されている画像と字幕を行ったり来たりしながら見るのはなかなか大変だが、そのうちスマホ経由で音声化された翻訳を聞くのが当たり前になる日がくるだろう。

 

外国人への手紙を書くのも楽になった。

簡単な季節の挨拶を書くだけでも大変だったのが、今やものの5秒もあれば立派な手紙に返信できる。

あれもこれもAIのおかげだ。

 

AIの英語はネイティブとは微妙に違うというが、英語を日本語に直させている限り、意味が通じないということはない。

よほど格調高い文学作品を書かせようというのならともかく、学会で非ネイティブが客観的事実を伝えるだけなら十分だ。

言語の壁は、この数年であっという間に低くなった。

 

日本人が英語が上手にならない理由として、日本が欧米文化を取り込むときに、あっという間に日本語化してしまったからだという指摘がある。

医学領域であれば解体新書。
あれで解剖学用語の多くが日本語で表現されるようになり、原書を紐解く必要がなくなってしまった。

これを日本語圏のガラパゴス化と言ってしまうのは簡単だが、あながちそうとも言い切れないようだ。

 

国際学会への投稿をAIと一緒に練っていたら、どうやら欧米的な思考パターンと日本的な思考パターンが違うようだ。

私からみると微妙な差だが、AIははっきりと違いを感じているようだ。

だから、日本人的な思考パターンを世界に発信する意義が生じる。

これまで、日本語という欧米人からすると複雑な言葉が、日本文化を守る壁となってきたが、これからはこれもどうなっていくかわからない。

これまで日本文化に魅せられた外国人は多かったが、この先、もっと増えていくのではないだろうか。

 

昨年、日本への観光客が4,000万人を突破したというニュースがあったが、この傾向はしばらく維持されるだろう。

それほど多くの人が訪れれば、日本文化の虜になる人も、さらに増えるのではないだろうか。

AIは言語の壁を劇的に低くし、それは文化の壁を低くすることへと向かっている。

文化の壁は、どこまで低くなってゆくのだろうか。