こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

もう純粋に平和を考える義務を感じない・・・no longer feels obliged to think "purely of peace"

大寒、寒波の到来

アメリカという国は、おそらく世界で一番裕福な国だ。

そのアメリカが、グリーンランドの領有に意欲を燃やしている。
ガザ紛争もウクライナ侵略も収めたわけでもないのに、自らをノーベル賞に値すると豪語し、それがもらえないからと
「もう純粋に平和を考える義務を感じない」
と嘆いている。

トランプ大統領の言葉として、あまりに象徴的だ。

 

オバマ元大統領は、何かを具体的に解決したわけではない。
しかし、彼の掲げた核なき世界という理念はいまだ残っている。

理念なき平和が、世界にもたらすものは乏しい。
ノーベル賞のための活動が、ノーベル賞をもたらすわけではない。
その単純な事実が、理解できないのだろうか。

 

平和の定義とは、いったい何なのか。

誰もが争うことなく暮らしていれば、それを平和と言ってよいのか。
ある者は富み、ある者は貧困に喘いでいても、争いがなければ平和なのか。
いや、そんなことは決してない。

では、どこかで折り合いをつけ、それぞれが少々の窮屈さを抱えながら共存すれば平和なのか。
それもまた、違う気がする。

 

努力した者は報われるべきだし、働かざる者食うべからずでなければ、働いている人が馬鹿を見る。

しかし、そこから貧富の差は生まれ、
やがて階級闘争は、平和の均衡を崩していく。

 

アメリカの富は、人々の努力だけで築かれたものだろうか。
先住民が暮らしていた肥沃な大地を、ヨーロッパから来た人々が奪ったことによって得た富でもある。

正当性があるとは言い難いその富を使って、
いまや世界の別の場所まで蹂躙しようとしているように見える。

 

トランプ大統領にとっての「平和」とは何なのか。
そこから見えてくるものは、ほとんどない。

ただし、多くのアメリカ人は今の状況を「悪くない」と感じているだろう。
だからこそ、彼は安泰なのだ。

中間選挙で負けたとしても、二の矢、三の矢は放たれるに違いない。

それは、日本にとって、どんな現実になるのだろうか。