こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

ひらがなに錯覚していたか

明るかったのは朝のうちだけ

このブログのタイトルがおかしな具合になっていた。

「こんな気持ちでいられたら」が、

「こんな気持ちいでられたら」になっていたのだ。

いったいいつからなのかわからないが、このはてなブログに引っ越してきたときからだろうか。

顔から火が出るほど恥ずかしいとはこのことで、すぐに直した。


引っ越しの時に、タイトルのコピペで失敗したのか、それとも、おまかせにしていた移行作業の途中でそうなったのか、定かではない。

いずれにせよ、引っ越した時からだとすると──過去記事によれば引っ越しは4月25日。
今日が190日目とのことなので、半年近くもおかしな具合のままでいたことになる。

それにしても、どうして気づかなかったのだろう。

 

ひらがなとしてながめてみると、「でいられたら」と「いでられたら」は区別がつきにくい。
後者はまったく意味不明な言葉なのに、「いられたら」と書いてあると思い込んでしまうと、それを正しいと認識してしまうから不思議なものだ。

 

日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字といった文字が入り乱れていてわかりにくいという。
だが、日本人自身がこうなのだから、外国人にはとても難しい言葉に違いない。

とはいえ、外国語というのは、母語としない人にとっては難しいに決まっている。

言語というのは、それぞれ見るにも、書くにも、しゃべるにも難しいものだ。

せめて人間共通の言語を使っていたらなんとかなりそうなのに、神様はどうして、こういう仕打ちを人間にしたのだろうと、時々思う。