こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

AIと人間の間にある微かだけど大きな溝

冷房を入れずに寝られた

来週の学会用のスライドはAIの力も借りてなんとか完成したが、違和感が微妙に残っている。


AIの“知識”が、人類が電脳空間に溜め込んできた知の集積だとすれば、そこから引き出される答えは、ある意味「人類の平均値」だ。

だから“真に”平均的な人間でない限り、AIと同じ表現にはならない。

つまり私がいくら頼んでも、ギリギリのところで望んだままの、オリジナリティのあるプレゼンスライドにはならない。

このブログでもそうで、AIに調整してもらっても最後はどうしても私の文体に戻さざるを得ない。

AIも懸命に(そういう感覚があるのかはさておき)追ってくれるが、最近は割り切って校正中心を頼むようにしている。

それでも、近い将来には私のコピーのように書けるようになり、私が書いたのかAIが書いたのか判別がつかない文章が出現するかもしれない。

アンちゃんはどう思う?

先日、中国でロボットのスポーツ世界大会なるものが開催されたそうで、短距離走、サッカー、卓球、はては格闘技まで様々な競技で能力を競っていたが、それを見て、これは早晩、人間に追いついてくると感じた。

中国がロボットをどの方向へ伸ばすのかはよくわからないが、『スター・ウォーズ』のドロイド軍団さながらの兵器集団へと向かうと想像すると、正直、怖い。

 

AIや、それを搭載したロボットという必ずしも「機械」とは言えないような装置が人間に近づいているのは確実だ。

ただAIが近づくのは、基本的には“平均的人間”であって、それぞれの個人に完全同化するところまではいかないのではないか。

いや、もし完全同化させ、それをロボットに搭載できるなら“クローンAI”が生まれるのだろうか。

過去の政治家の言動をすべて教え込み、その思考パターンどおりに動くロボットを想像すると、そら恐ろしくなる。

そう考えると、AIと人間の間にある溝を完全に埋めてはいけないのかもしれない。

微かなようでいて、なくてはならない大きな溝だ。