こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

つくづく意地悪な私

北海道では40度になる?今日も危険な暑さへ

私の勤務先は少し郊外にあり、都心のターミナル駅に一旦出てから、下り方向の列車に乗る。

都心では満席でも、やがて人は少しずつ降りて、隣がいなくなるタイミングがある。

私が毎日乗る通勤電車のベンチシートは手すりによって2人、3人、2人に区切られている。

 

この時、私が2人スペースの端に座っている場合、問題が生じる。

隣が空いて、その席に誰かが座るのは当然として、やがて周囲の席がガラガラになっても後から横に座ってきた人がどいてくれないとちょっと残念な気持ちになる。

2人のところからだと一旦立ち上がって手すりの向こうに行かなくてはいけない。

隣に座ってきた人が割と大柄な男の人だったり、小柄な人でもスマホをいじって腕が当たってくるような人だったりすると鬱陶しくなる。

この端に男の人二人

ならばさっさと自分が広々とした別のスペースに動いたらいいのにと思うかもしれないが、いざ私がそうしたらその後その後から座ってきた人が私のいた、端っこのコージーコーナーにズレてのびのびと座るであろうことを想像するとなんとも釈然としない。

 

ちょうど今も目の前のベンチシートの向かって右端の2人スペースに男性が2人座っている。

端っこの人はスマホをいじっていて、2人目の人は結構豪快に舟を漕いでいる。

スマホをいじっている人は窮屈そうだけど、動こうとしない。

そういうことに無頓着な人もいるから、どういう心境なのかもわからない。

 

もちろんその隣の5人分は空いていて、すなわち向かいの7人掛けのシートに二人だけ端によっているのだ。

ちなみに、私の側のシートもガラガラだ。

端っこの人が移動したら、たぶん、その舟を漕いでいる人は、ふと目が覚めて寝ぼけ眼で端に移動し、さらに気持ちよく眠りに落ちるだろう。

それって・・・。

 

と、そんなことを考えていたら、一時期話題となった日本人の”自分が損をしてでも相手を出し抜く”という、スパイト行動をとりやすいという少し前の研究を思い出した。

 

この場合、”自分が移動することによって、自分のことを窮屈に押し込んでいる人が伸び伸びするのを見るぐらいならこのまま我慢してここで頑張る”という行動がそれだ。

さすがに私なら、そういうときは移動してしまうだろう。けれど、そんなことをいちいち計算してしまう自分が、つくづく意地悪に思える。

 

まあ、相手がさっさと”降りて”くれたら話は終わるのだが、世の中そうそう上手くはいかないわけで、結果として、自分の嫌なところが露見してしまう。

そんなところで、自分の狭さに出会ってしまうのはなんとも、居心地が悪い。