こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

わりとビビリな私なわけで

南風が大量に吹き込んでいるとかで猛烈な湿度

 

全く、生きるというのは難しい。

 

妻からこのブログについて、「(参議院選挙戦中の)今の時期、知らないうちに選挙違反をしてしまうことがあるかもしれないから、選挙関連のことはあまり軽々しく書かない方がいいんじゃない?」と心配された。

そう言われると、根が小心者の私はここ数日の記事を思い返して、「あれは大丈夫だったか?」「これは言いすぎだったか?」と、つい気になってしまう。

せっかくこのブログを残そうと、はてなブログに引っ越してきたというのに、そんなことで閉鎖されてしまったら、あまりにも悔しい。

 

夜、犬の散歩で歩いていると、無灯火の自転車とすれ違うことがある。そんなとき、つい「ライト消えてますよ」と声をかけてしまう。

でも、無灯火で走っているような人はそんなことは百も承知の確信犯で、他人にそんなことを言われると逆に睨み返されたりする。

駅でも、歩きスマホや、ホームでスマホを前に突き出して使っている人を見ると、つい露骨に嫌な顔をしてしまう。

けれど、そういう人たちも“わかっていて”やっているわけで、初老の男が何か顔をしかめたところで、気にも留めないし、イラっとしたら睨み返す。

 

一方の私はといえば、そういうことをした後に、相手のちょっとした反応にビビってしまう。

「だったら最初からそんなことしなければいいのに」と思うのに、ついやってしまう。困ったものだ。
これは一体どういう心理なのだろう。

 

自分としては「社会のルールに従って行動しているつもり」だからこそ、気になるし、時に注意もしてしまう。
でも、その“注意”に対して反応が返ってくると、怖くなる。
そうした“反駁”の多くは、ある種の開き直りのようなもので、理屈の上ではこちらが正しいはずなのに、それでもどこかに付け入られる隙があるんじゃないかと思ってしまい、怯んでしまうのだ。

 

「ならば最初から何も言わなければいいじゃないか」と言われそうだが、それはそれで社会正義に反するようで気が咎める。

どうしたらいいのか、日々悩んでいるが、どうやって生きていくかの方針はなかなか定まらない。