こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

本能的に知っている、ってすごすぎる

いよいよ神奈川にも熱中症警戒アラート

昨日、庭仕事をがんばったせいだろうか。
昨夜は久しぶりによく眠れた。

とはいえ、朝早く目が覚めるのはいつもと同じ。
しかも今日は仕事の日だ。

いったん手を洗いに立ち、寝床に戻ってしばらくまどろむ。

明け方、東の空が白みはじめるころ、小鳥たちの囀りが聞こえてくる。

鶯、ガビチョウ・・・いろいろな種類がけっこう大きな声でしゃべっている。
けれど不思議と、それが眠りを妨げることはない。
アップルウォッチに起こされるまで、うとうとと過ごす。

 

小鳥の囀りというのは、つまり「ここに小鳥がいますよ」というサインでもある。

そして、小鳥というのは“安全な存在”だから、
その声を聞いても眠気が邪魔されないのだろう。

もちろん「朝だよ」というシグナルも込められているのかもしれないけれど、
それはまた別の話だ。

 

「安心」という感覚。
動物たちは、一体いつからそれを身につけているのだろう。

たとえば鳥のヒナは、生まれて最初に見たものを“母親”だと認識するという。

それはもう「本能的」としか言いようのない行動だ。

 

本能的な行動の代表としては、よく三大欲求が挙げられる。
食欲、性欲、睡眠欲。
誰かに教えられなくても、自然にそういう行動をとるようになる。

それって、冷静に考えると本当にすごいことだと思う。

 

卵子精子が出会い、核酸が適切に組み合わさって新しい命になる。
そこまでは、ある程度理屈で説明できるかもしれない。

でも、生まれた瞬間にすでに“生きる術”をある程度備えているということ。
これが、なんとも驚異的だ。

馬は生まれてすぐに立ち上がるし、
魚はすぐに泳ぎはじめる。
人間だって泣き、手足をばたつかせる。

 

「なんのために?」という問いすら必要としない、
ただ生きるための、“本能的”な行動。

生命の神秘とよく言うけれど、
この“本能”という仕組みもまた、生まれながらに知っていることの、すごさ、不思議さを示している。