こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

生きるために争うということ


圧倒的な火力を有するイスラエルが総力を上げて攻撃したら、そこにいるパレスチナ人のすべてを殺してしまうこともできるだろう。
イスラエルが行おうとしているのは、あくまでもハマスによる奇襲攻撃に対する反攻だが、それをアメリカが日本による真珠湾攻撃に対して、最後は原爆まで落として多数の一般民間人を殺戮したことと比べてしまう。

あの時アメリカはハマスに相当する軍部を解体することが目的だったのか、武力的にこの国を制圧することが目的だったのか、どちらだったのだろう。
GHQは日本をどうしたかったのか、どうしたのかということはもう歴史の彼方にある。
もちろん、具体的なことは記録に残されているものの、意思決定がどのようになされたかということ、今となってその結果をどう評価するかはその後の日本の歴史を考えるとよくわからない。
人類の愚かな歴史はこうして繰り返されていくのか。



万物流転、ある瞬間から先には無限の可能性があるが、その無限分の1の細い道を全ての事象が受け入れながら時間と共に進んでいく。
正しい選択だと思っても、それは別の視点からは全くの誤りであることは往々にしてある。

全ての人に受け入れられることなどあるわけないし、そもそも人間の存在は他の生物にとっては邪魔なだけかもしれない。

この国のあちこちでクマやイノシシの駆除の問題が起こっているが、それは人間がクマやイノシシの領域を侵しているからで、クマには武器がないので一方的に殺されているだけだ。
人間同士の戦争を、動物の駆除の話と一緒にすることはできないものの、生存のためという大義という点からは似通ったことではないだろうか。
正義は規定できない

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