こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

心が沈むのは秋だからか、それとも悲劇のためか


写真を撮ろうとベランダに出たら、デッキも手すりも雨上がりのようにびしょ濡れで、気をつけないと、滑って転んでしまいそうだった。
季節の移り変わりを実感する。

今日の天声人語に”秋はさみしい。何を聞いても、何を見ても、どこか寂しい気持ちになる”という一文があった。
天声人語子も私と同じく、そんな気分になるのかと思い、書き留めておいた。

このところ、このブログのエントリーがなんとなく鬱っぽいのは、職場でのこと、家族のことで色々あったためかと思っていたが、こんな波風、私のこれまでの人生にはもっと大嵐が何度も吹いたことがあるわけで、やはり秋のせいなのだろうと思うことにした。

だが、ウクライナ戦争に加え、パレスチナで勃発した戦争のこともあって、今年の秋はそれ以上に心が苦しくなる要因が多い。
テレビ画面の向こうに、明日をもしれぬ命の人が泣き叫んでいるのをみると、その人たちを救うために何かをしてあげられることなど何もなく、ただただ悲しくなる。

ウクライナ戦戦争にしてもパレスチナ戦争にしても、もはや世界は無縁ではいられない。
米国、中国、ロシアも当事者として打開策を出さないとそれぞれの存在意義も危うくなる。
日本にしても、何かを発信しなくてはいけないところだが、いまのところ明確な意思表示は聞こえてこないのは、もはや多様化の時代となり、どちらか一方に与することができなくなってしまったということもある。
それは私たち一般市民にしても同じことがいえる。
すべての人が翻弄されている

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