こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

テレビで得たもの失ったもの


 朝も徐々に蒸し暑くなってきた。昨日、外に出ていた時間が長かったせいか、熱中症気味で体調はいまひとつ。1週間のスタートがこういうことではよくないが、とにかく頑張ろう。

 普段、通勤電車の車内でいわゆる世間話というものを聞くことはほとんどないが、週末はそんな話を聞くことができる。一昨日の土曜日、横浜に向かう横須賀線内にはご婦人3人が大きな声で話していた。その話題はテレビ番組の内容だった。山下公園を歩いていても、昼を食べた中華街の料理店でもテレビ番組の話で盛り上がっている人たちがいた。どれも何の足しにもならないネットニュースにでてくるゴシップネタだかそんな類のことを話しており、出演者のことをあれこれ話しているのも聞こえた。

 ああ、テレビに出ている人たちって、こんなふうにごく身近な存在として語られていのだと思った。他人同士の共通の話題としてはテレビは最適だ。個別の興味はネット上で他の誰かと共有し、一般的な話題は対面する人同士で共有する、そんな時代になってきたのか。

 58年生きてきて、私は何時間テレビを見てきただろう。朝起きて家を出るまでの1時間、帰宅してからの1、2時間はテレビがついている。小学生の頃、留守番中の午後3時から5時ぐらいにみた必殺シリーズ非情のライセンスなどは今でもよく覚えている。テレビと共に育って、テレビと共に生きてきた。

 家族の会話が遮られてしまうから食事中はテレビをつけない

ということを、息子と娘が学生の間貫いたのは今でもよかったと思っている。だが、息子が独立し、娘が留学して、妻と2人になってからは話題を共有することのできる番組を見ながら食事している。娘が帰ってきて再び3人で暮らすようになっても、テレビはついていることが多い。それぞれが忙しくて食事の時間しかテレビを見る時間がないからだろう。私と妻はほぼNHKだが、娘は民放をよく見る。この好みの違いは何なのかわからないが、私も昔は民放をよく見ていたのだろうか、よく覚えていない。ちなみにスマホをいじりながらの食事は流石にないが、ではテレビがついたままとどう違うのかと言われるとよくわからない。

 テレビの普及期にはその害毒を訴える論調が多かったし、今でもそれが無くなったわけではない。ただ、それよりも強力なネットの影響が取り沙汰されるようになり、テレビはマスメディアの1ツールにしか過ぎなくなった。これまでテレビがもたらしてきたものは一体何だったのか、テレビで得たものそして失ったものは何だったのか考えてみたいが、仮にテレビがなくても、PC、スマホのない人はいないであろう現代社会においては、もはや検証することはできない。

ドリフなんて可愛いものだった

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