
今朝の鎌倉の気温は京都よりも低く、少し肌寒い。午後からは関東一帯雨になるそうで、楽しかった先週末はなんだかもうずっと前のことだったように思える。学会発表も無事終え、今週からは淡々と静かに過ごしていきたい。
昨晩、NHK大河ドラマ”鎌倉殿の13人、第15回”が放映され、メインキャラクターの一人が命を落とした。すぐ近所でこういったことがかつてあったのかと思うとなんだか嫌な気分にになる。このドラマ、今から800年あまり昔の中世武士団の勃興期における人の命の軽重が伝わってきて、三谷幸喜のストーリーは素晴らしいものとなっている。
おととい、”京都に来て鎌倉を考えた”というこのエントリーのタイトルを思いついたのは、京都から感じた”鎌倉”という地の遠さのせいだった。源頼朝を伊豆に配流した平清盛は甘かったのではなく、伊豆なんてところを遥か地の果てに感じていたのではないか。だからこそ、あんな温情をかけてしまったのではないか。
その頃の京都からみたら、鎌倉など野卑な田舎都市であり、”武家文化の中心”といってもはるかに格下の街だ。ただ、そういう観点から考えると、源頼朝が鎌倉を再起の地として選び、発展させたというのは、日本の歴史に一つの変化を残したという点で偉業であった。
鎌倉の人口は一時は10万人近くもあったというのだから、今とあまり変わらない人口密度だったのではないか。御家人のみならず、商人、農漁業者もいたであろうから大変賑やかな街だったろう。その一方で、京都では人々は静かに暮らしていたのではないか。ただ、その平和が鎌倉幕府によってもたらされたものなどとはあまり意識していなかったように思う。
今でも、京都から見たら鎌倉など"そういえばそんな街もありますね"程度の扱いだろう。まあ、比較すること自体意味がないかもしれない。タイトルが微妙に何度も変更されていて申し訳ないが、もう少し考えてみる。
偉大な田舎だった

