こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

いい加減、密はやめなよ、お偉いさん方


怒りは快楽に通じる。
快楽は悪ではないが、それを貪るようになったらやめることはできず、さらに繰り返す。

 昨日、総理大臣が忘年会に参加したという話を聞いて初めは怒りを感じた。その勢いでエントリーの要旨だけを書いた、というのもそのことを知ったのはおとといの夜遅くだったから、忘れないうちにとその時の思いを留めておいたのだ。朝起きてから、文章を整えながら書き直そうと思って読んだら、そこには夜中に書いた怒りが溢れていた。
そこで思ったのが、やっぱり怒りは抑えなくてはいけないということ。

 元来、私は意地の悪い人間なので、他人の悪いところばかりに目がいってしまい、批判的なことをすぐに思う。時には、見知らぬ人に対して睨んだり、直接言葉にしたりということもある。気が小さいのに短気なものだからあまり格好良くないし、地雷を踏みでもしたら大変なことになる。怒って得することなどない。馬脚を露わした総理大臣の浅薄な行動を攻撃したところで自分の心が損をするばかりで、何も得るところはない。もちろん私の立ち位置からの情報を読んでいただく方に発信するのがブログを書いている目的だから、論評を加えることが悪いわけではないのだが、そこには客観性が残されてはいけない。したがって、自分の怒りを吐露するばかりでは無意味だ。
 そこで、怒りの元は何かと考えた。政治への絶望、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への恐怖、およびそれによって抑制されている自らの社会活動への苛立ち、そういったものではないかと考えた。そして、それらの先には悲しみがあるのではないかと気がついた。タイトルを自らの嘆きに変えて書くことで、多少なりとも怒りを抑えることができたように思う。
 それにしても、”怒っていたのは”私だけではなくて、日本中の人が同じような思いに捉われていたようだ。テレビやネットでは思っていた以上に叩かれていた。まあ、私の思いも仕方がなかったのかと、今回ばかりは胸をなでおろした。

 新型コロナの新時代、仕事上、実際に人と会って直接話す必要がどれほどあるのだろうか。私の勤務先でもウェブ会議がどんどん入っていて、年明けには会議室に集まるものは無くなる。私が話すのは担当医と病理技師。学会研究会もその方式が進められていて、巨大なコンベンションホールに何千人もが集まるという光景は遠い過去のものとなってしまった。
 そこで思うのは、各レベルの議会。市町村議会にしても、県議会にしても、国会にしても、議員が一堂に会して議論する必要などないのではないか。ネットで行えば聞き苦しい、時として恫喝の様な野次に議論が妨げられるようなこともないし、議事録も確実に残る。そもそもあんな密な状態で”選良の皆様”が感染の危機に晒されるなどということは避けなくてはならない。国会議員のグリーン車代を含めた移動費も削減できるだろうし、文書通信費もまたしかり。
 人と会うのはできる限りリモートにしてしまったらいい。そうすれば料亭政治、密室政治も無くなる。わざわざデジタル庁を作ったほどの新総理、それぐらいのこと、率先垂範したらどうか。そうしたら、40分にも延びてしまった挨拶も最初から、1時間2時間ゆっくり話せただろうに。PCをいくつも用意しておけば、会場のはしごだって簡単だ。
 新しい生活様式へと移行することは、これまでの利権を手放すことになる。それが出来ない人は、ある意味感染のハイリスクグループに取り残されることになる。実際、そういう立場にある人は年齢的にもハイリスクグループなわけで、感染したら大変だろうから用心したほうがいい。
密はダメですよ

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