
現代の人は我慢するということができなくなっている。都内の乗り換え駅では飲みに出て行く人が心なしか増えているように思えた。5月6日まで、まだあと10日以上あるというのにどうしてこう、辛抱できないのだろう。自粛などという、一度外れてしまった欲望のタガをもう一度はめるという行為はとても難しい。
今回の新型コロナウイルス感染症の感染拡大でも、いろいろなところでそのことがよくわかる。自分がその立場だったらどうするかということを考えると自信が持てないので、他人の揚げ足取りになるようなことは言わない。
不平不満を今言ったら、あとで後悔するのは自分自身ということもある。「あの人あの時はこう言っていたのに、今じゃあもうこんなこと言っているよ」なんてことを言われて、言い訳するのは精神衛生上良くない。

日本中、世界中の人が未知のウイルスの脅威に直面し、右往左往している。耐乏生活を強いられている人は莫大な人数だ。目立った暴動が起きないのは”感染症”という、自分に跳ね返ってくるかもしれない脅威に対してだからだろう。誰が指導者になったとしても、池をかき回して泥を巻き上げないようにするしかできることはない。だが、本格的なオーバーシュート が起こっていない状態では、結局何も起きないでないかと、馬鹿なことをする人が出てきそうなのが怖い。
鎌倉駅前のロータリーは現在工事中で、3割ぐらい終わったところだろうか。先週あたりまでは、客待ちのタクシーが列をなしていたが、ここ数日はすっかり姿を消した。朝はもともと少ないが、帰ったときも同じようなものだ。小町通りも真っ暗で、鎌倉の観光業は死滅しつつあると言っても過言ではない。
病理学の言葉で”凝固壊死”というのがある。主に、血管の閉塞でその末梢領域の組織が死んでしまうことで、顕微鏡でその部分をみると細胞は死んでしまっているものの、その形態は残っている。心筋梗塞がそのいい例で、心筋に酸素を運ぶ冠状動脈が途絶し、血液が供給されず壊死に陥るのだ。この血液循環に相当するのが経済で、鎌倉市のみならず、日本中、いや世界中の経済がほとんど動かなくなりつつある今の状況はこの心筋梗塞の状態に見える。
”コロナ後”というものがいつやってくるのかはわからないが、そのとき建物ばかりが残って中に入る人が消えてしまっているということになる可能性は高い。ただ、心筋が虚血に陥った場合でも、しばらくするとその部位に”側副血行路”という新生血管が伸びてくる。社会でいったらネット社会がこれに相当するのかもしれない。ネットで互いに繋がるようになったら、人は移動する必要はない。そこで思い浮かんだのが映画「マトリックス」の世界。
種としての人類は存続していかなくてはいけないが、いつまた感染症の危険にさらされるかわからない。ならば、繭のような装置に入っていたら安心だ。まさに巣籠もり。AIにコントロールしてもらっておけば、争いも不平等もなく平和だ。ある意味、ネオやモーフィアス、トリニティーは我慢できなかった人たちということができるのかもしれない。
正解はたぶん無い


