もう勘弁してというほど、政治が劣化している。大勢の人が犠牲となった大豪雨の只中、総理大臣を含めた日本の中枢を担う人たちは大宴会を開催し、それをご丁寧に官房副長官がツイッターにアップしている。何かあった時、総理の代わりに対応しなくちゃいけないのはあなたなのだけど、そういう意識は見えない。一緒に酔っ払ってないで欲しいものだ。そのことを非難していた野党の”看板娘”も同じ夜に”政治家のパーリー(?)”に参加していた。こんなこと知らなきゃよかったと言いたくなるようなことが、次々とSNSにアップされている。
昨日、参議院の定数が増やされることが決まったそうだ。この期に及んで政治家の数を増やすなんて、一体なんなんだ。もう、あなたたちに払う税金なんて、無い!と言いたい。
さらに、水道局は将来民営化されるらしい。空気と水はタダ(もちろん実際はそうではないが)というのがこの国の安心の柱の一つだったのに、どうなるのだろう。北海道の水資源の中国資本による買い占め、水道管の劣化への対応、今回のような災害時の対応、そういったものへの不安が募る。カジノ法案もどうだか。
そして、この政権があと3年以上続くことを考えるとものすごい閉塞感に襲われるが、では、野党のどこが代わりになれるかというと、それも心許ない。それは、野党にいる人の多くが、ただ単に”自民党”的なシステムの中にいることのできなかっただけのお山の大将的な人に見えてしまうからかもしれない。

ある哲学者(國分功一郎)が朝日新聞のコラム(思考のプリズム)で”現政権の知らんぷり対応、見抜かれている無関心”と題して、”今の政権は、国民の諦めを見抜いているから、今の政治を続けていくことができる”ということを書いていた。政治家のために公文書を改ざんするという歴史そのものを変えてしまうような前代未聞のことを、財務省のトップがやってもも、全く平気でいる。喉元過ぎれば暑さ忘れる、だ。本気で待っているのだから私たち国民もなめられたものだ。各種世論調査は好調のようだし、たまにある選挙でも自民党は強い。それも自民党というより、現政権が強いのだ。現政権のおかげで得をしている人が思いの外多いということの表れだろうか。

そのコラムの中で、日本人がなぜ今の政治に対して諦めているかというと、それは”信じるものがないから”という分析をしていた。拠りどころのない不安な毎日の中では、自分のことで精一杯で、自分のことにしか気が回らない。政治なんて適当にやってくれていたらいいのだ。誰もが納得できる政治なんてあり得ないのだから、というようなことで政治への関心を失っていっていいとは思えないが、そんなものなのだろう。信じるものがないから、カルト宗教に走ってしまう若者が後を絶たない。
SNS上では政治に関する多くの意見が飛び交っているけれど、発言しているのは全体からみたらごく一握りの人たち。そういう人達が発信する”知らなきゃよかった絶望的なこと”をこれからも読み続けるべきなのかどうかとも思う。こうやって考えてみると、私自身が拠り所を見失って不安になっているのかもしれない。
私が恃むは妻か
