こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

残された人生で

私ぐらいの年(53歳)になると、各界のトップになっている人も少なくない。病理の世界でもそうで、教授とか部長というような枢要な立場の人も私の世代になりつつある。ついこの間まで親しく口を聞いていたような仲でも、公の場に出れば話す順番も座る場所も違う。
そういう先生たちを見ていると、みなさん若いうちからコツコツと努力してきたものだと思う。
だからそういう人たちを見て、羨ましいとか妬ましいとは感じない。ほとんどの場合、その人がしてきたことに対する評価は正しくなされている。そして、私に対する評価というのも正しくなされている。だからお互い、今いる状態は適切なのだろう。仮にそれが理不尽と思われる経緯の果てであってもだ。

 


私にはこうしたい、と思うことはあっても、こうなりたい、という思いはもうない。それは周囲が評価し、決めてくれる。結局のところ、自分がやりたいと考えることに取り組むしかない。そのための努力を惜しむつもりはない。自分探しの旅など、とうの昔に終えている人間は、今あること、できることをやるしかない。
なにも老け込んだとか、諦めたということではない。残された人生の中でなすべきことが見えてきたというだけのことだ。

 何年あるか分からないが

 

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