こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

祝 富岡製糸場世界遺産登録(内定)


第103回日本病理学会総会が終わった。初日から自分の関係する演題があったので、前日から広島入りして、都合4日間の長丁場でけっこう疲れた。
仕事を終えてそのまま広島に向かい、初日の朝一番の共同演者として出席してから、19時20分の講演会が終わるまでずっと、学会場にいた。2日目は7時半過ぎから会議があって、それから夜19時20分の私が事務局を務めている研究会主催の講演会が終わるまでほぼずっと、学会場にいた。“ほぼ”というのは、途中、別の研究会の会議が学会場の外であったからというだけだ。今日は昼の委員会まで参加して帰ることにした。もう、へとへとである。


三日とも同じ時間に目が覚めるとは


学会場が広島国際会議場と川を挟んで約200メートル離れた広島ANAホテルとに分かれていたので、行ったり来たりが大変だった。雨が降らなくて本当に良かった。さすがにゴールデンウィーク前後は天気がよいだけのことはある。日差しは強かったが、湿度は低く日陰に入ると気持ちがよかった。
こんなにすばらしい天気が続いたのに、宮島にも錦帯橋にも行けなかったのは残念だった。まあ、仕事だから仕方がない。



国際会議場からは市電に乗って広島駅に向かった。ちょうど、原爆ドームの横を歩く。昨日一昨日と遠くから原爆ドームを眺めていたときには何も感じなかったのだが、今日、その横を歩いたら急に胸が揺り動かされた。人類の犯した過ちというのが、そこにはある。戦争の究極の形が具体化されたのが、広島、長崎への原爆投下であり、その記憶が原爆ドームである。そのことが伝わってくる。この思いが起こされたというだけでも、広島で開催された病理学会に参加して良かった。



群馬県の「富岡製紙場と絹産業遺産群」その関連施設が世界遺産に登録される運びとなったそうだ。また一つ、人類の遺産が選ばれたということは、暗いニュースの続く日本にとっては、久しぶりに明るい知らせだ。原爆ドームでも思ったが、世界遺産には存在そのものに人類にとっての重要な意義がある。社会科の教科書でその絵は何度も目にしてきたが、実際に訪れたことは無い。また、保存には数多くの人の努力があったそうでもある。
鎌倉と富岡では関東の端と端ではあるが、行こうと思えば行ける場所でもあるので、一度訪れてみたい。

鎌倉はダメだったけど・・・
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富岡製糸場世界文化遺産へ ユネスコ諮問機関が勧告(朝日新聞デジタル 2014年4月26日09時59分)
 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に、世界の絹産業の発展に重要な役割を果たしたとして日本政府が推薦していた「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)が登録される見通しとなった。ユネスコの諮問機関が「登録が適当」と勧告した。6月15日からカタールのドーハで開かれる世界遺産委員会で最終的に決まる。
フランス・パリの世界遺産センターが25日(現地時間)、文化遺産の候補を事前審査する諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)の勧告内容を日本政府に伝えた。イコモスは遺産候補を「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」の4段階で評価、富岡には「登録」を勧告した。

 富岡製糸場富岡市)は、1872年に明治政府が設立した官営の製糸場で、国内の養蚕・製糸業を世界トップレベルに引き上げた。近代養蚕農家の原型になった「田島弥平旧宅」(伊勢崎市)、養蚕教育機関だった「高山社跡」(藤岡市)、蚕の卵の保存に使われた「荒船風穴」(下仁田町)と共に、海外から導入した技術を高度化し、世界の絹産業の発展につなげる舞台となったとして、世界文化遺産への登録を目指している。近代以降に建造された産業施設では、国内から初めて推薦された。

 イコモスは、富岡製糸場について「養蚕と日本の生糸産業の革新に決定的な役割を果たし、日本が近代工業化世界に仲間入りする鍵となった」と指摘し、資産の保護措置も「適切に実施されている」と判断を示した。推薦書の主張をほぼ認めており、文化庁は「パーフェクトに近い評価」と受け止めた。