だが、周囲には私のことを「真面目」「几帳面」「正義感がつよい」などという人がいる。
私のこのブログ「こんきも」の読者の方ならば、私が本当は「不真面目で」「だらしなく」「正義感のかけらもない」ために、それらを必死になって隠そう、直そう、としているだけだということをご存知だと思う。

生きていると、それぞれの人がそれぞれの役回りをもって生きているように思う。
たとえば、政治家であればタカ派とハト派がある。武闘派とか穏健派とかいう言い方もある。
いったん、そのようなレッテルを貼られると、そこから転換することは容易ではない。
そういった役回り、小学校辺りで運命が決まってしまうような気がする。
学校や職場が変わった時は、自分のありたい姿に変わることのできる数少ないチャンスだが、誰もいないところに消えるということはよほどのことでない限り難しく、家族や友人が変わらせてくれない、などということになったりする。
こうなってくると、自分に素直でいる、ということ自体が難しいこととなる。

私の場合、変わろうと思って変わったわけではない。
某私立医大を卒業後、諸般の事情より、その医大の病理学教室に入らず、別の大学の大学院に入ることになった。そこには、母校の出身者がいなかったということもあって、どうもその辺りから、おかしな具合になってしまったように思う。
教室員の多くは優秀で真面目(に見えた)。周囲からはあの大学の先生(と、説明できないので勝手に思われる)。
そして、今では、私は几帳面で、真面目。
そういった噂を漏れ聞くと、周りに勘違いされているように思う。コロ健、冗談でもそんな人間ではない。
だが、そんなこと、いちいち言って回ることもできない。
いいのか悪いのかわからないが、放っておくしかあるまい。
結局のところ、自分がどんな人間かなど、自分では決めようが無いし、周りの人が私のことをどれほど知っていようが、他人のことを思い込みで、それぞれ勝手に決めているに過ぎない。

