こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

私は私であって私ではない

このブログ、「こんな気持ちでいられたら」、略して「こんきも」、結構、いいタイトルだと思って気に入っている。

だけど、このブログに書き表している私の言葉、気持ち、というのは果たして本当の私のものだろうか。

本当の私、というものを定義するのは難しい。
つい先日、『ブログの中の私』と題した記事を書いて、こんきもと私の位置関係について考えたが、本当の私というのが、どこにいるのかよくわからなくなってしまった。

(ブログの中で語っている)私、すなわちコロ健。

(ブログを実際に書いている)私。

今の私。

このブログが誰かの目に触れている時の私。

いろいろな私がいて、それらは決して重なり合うことはないのではないか。

コロ健という存在が、時空を超えて連続的に同一のものであるのか、それとも一瞬一瞬で切り離されているものなのか、何もわからない。

わからないことがあるからわからないと認めるか、わからないことはない(はずだ)からわかるまで考えるか。

考えてみると、実に興味深い。
そして、きりがない。