だけど、このブログに書き表している私の言葉、気持ち、というのは果たして本当の私のものだろうか。
本当の私、というものを定義するのは難しい。
つい先日、『ブログの中の私』と題した記事を書いて、こんきもと私の位置関係について考えたが、本当の私というのが、どこにいるのかよくわからなくなってしまった。
(ブログの中で語っている)私、すなわちコロ健。
(ブログを実際に書いている)私。
今の私。
このブログが誰かの目に触れている時の私。
いろいろな私がいて、それらは決して重なり合うことはないのではないか。
コロ健という存在が、時空を超えて連続的に同一のものであるのか、それとも一瞬一瞬で切り離されているものなのか、何もわからない。
わからないことがあるからわからないと認めるか、わからないことはない(はずだ)からわかるまで考えるか。
考えてみると、実に興味深い。
コロ健という存在が、時空を超えて連続的に同一のものであるのか、それとも一瞬一瞬で切り離されているものなのか、何もわからない。
わからないことがあるからわからないと認めるか、わからないことはない(はずだ)からわかるまで考えるか。
考えてみると、実に興味深い。
そして、きりがない。