ふんぞり返って歩いているわけではないのに、腹が出ている。おかしい、これが自分の姿なのか?
はじめてそのことを認識したのは、4、5年前か。しばらくは、そんな自分を認められないでいたのだが、少しずつ、だが確実に変わっていく我が姿を見るたび、そのことを認めないではいられなくなった。
バスケットボールに汗を流していた学生時代にくらべ、15キロ増えた。
思い出してみれば、30代半ばころから「少し太った?」と、言われることが増えた。さらにそれから15年。いまや押しも押されぬ立派なオヤジ体形だ。
あっという間のことで、体型の変化に意識がついていかない。
夏バテで少しだけ体重が落ちたとはいえ、やはり腹は出ている。そんなとき、太ってしまったスティーヴン・セガールに再会したのだった。彼の姿、というより置かれた状況は今の私そのものだ。
真実の姿。
太ってしまった自分を認めたくない、受け入れたくない。
映画では、彼の全身が映らないように配慮されている。だが、顔もふっくらしている。自らが総指揮をとる映画、自分でもわかる変化を映したくないのだろう。
そんな、複雑な思いを感じながら、結局、『沈黙の牙』全部観てしまった。
終わったのは、午前1時。感慨深く、心が落ち着かなかった。
やっと眠りについたのは30分後くらいか。5時半の起床まで4時間。
寝不足だ。
一日目。
久里浜から来る列車はやり過ごしたが、並んだ列は前から3人目。そして、逗子発が来たが、これに座れなかった。2人目だと大概大丈夫なのだが、3人目は厳しいことが多い。
めったにないことなのに、その日に限ってだめだった。
だが、一日くらいなら大丈夫なはずだった。
だが、私は『沈黙の牙』を二晩続けて観てしまったのだった。
なぜ、連続ドラマが映画として放映されているのかわからない。ストーリーにしても人それぞれの受け止め方があるものなので、どうこう言うつもりはない。だが、映っているのはスティーヴン・セガールの弟子のような俳優ばかりで、スティーヴン・セガールはあまり出てこない。私は彼の弟子が見たいのではない、太ってしまったけどスターとして居続けるスティーヴン・セガールの姿を確認したいのだ。
そして、彼と苦悩を共有したい。
結局、この晩も最後まで観てしまった。
眠れたのは2時近く。
睡眠時間は4時間を切ってしまった。二日あわせて、7時間少々。夏バテの50歳には少々キツい。
二日目
眠かった。さらに暑く、つらかった。
その日も並びは一番前ではない。一本あとの逗子発にしておけばよかったのに前の日の失敗もあり、「今日こそは」と勇んで、久里浜から来た横須賀線に乗ってしまった。
そして、ショルダーバッグのベルトを持って今にも立ち上がりそうなおじさんの前に、寝不足で疲れた私は立った。
スティーヴン・セガールに罪は無い。むしろ、通勤電車の過酷さを思い出させてくれた彼に、私は感謝しなくてはならない。
つづく


