要するに、夜中の2時3時に急に目覚めることがなかった。
学会というのは、気付かないうちに緊張しているようで、神経が高ぶってちょっとしたことで目が覚めたり、ドキドキしたりする。
昨日、別の先生と話したら、「学会は疲れますね、昨日は持ちませんでした」などと言っていた。
いずれにせよ、気付かずにいた極度の緊張感から解放されたようで、急に気が抜け、娘のバレーボールの試合の応援(インターハイ地区予選)で大きな声を出し、午後にはモッコウバラのシュートを切り落としと、寄せ植え鉢の植え替えをした。
こうしてみると、いろいろあったようで、実はたかだか自分の体の動く範囲であれこれしているに過ぎないということに気がついた。さらには、年を取っていくということ以外は、すべて同じようなことの繰り返しだというように感じた。
この一週間ほどを振り返ってみれば、先々週の金曜日にこじらせた風邪をひきずったまま、週末はいまいちすぐれぬ調子のまま過ごした。同じ学会でも、臨床細胞学会は共同演者だったので、気楽にやり過ごしてしまった。週が明けてからは、テンパってしまい、そのまま札幌にいった。
いろいろな人と考えを戦わせ、意見を交換し、また旧交を温めた。
また、同じ研究会で、体調を崩しておられた先生の訃報に接し、言葉を失った。
以前、このブログを読んでくださっているようなことをおっしゃっていたが、立ち話だけで、今度お会いしたら感想をうかがおうと思っていたままになってしまったのが心残りだ。
そんなことを思いながら、今日一日を過ごしていて、気がついた。
正岡子規は寝たきりになって、病床六尺をもって彼の世界とした。彼はその限られた視野の中から世界を見渡した。その一方で、少々そこら辺を歩き回っている私は、自分の世界の一つ一つの出来事にどれほどの注意を払って生きているだろうか。
おそらく、もっと自分を取り巻く人や事物を大事に見て、感じて生きていけるに違いあるまい。
人生というものを、もっと丁寧に、深く感じ取っていきたいものだ。


