こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

ディスカッション顕微鏡で

病理診断科には標本を一度に数人で診ることのできるディスカッション顕微鏡がある。
小さな二人用から、大きいものだと十人用とか、もっと大きいものまである。

病理標本を複数の病理医が一緒に診て、診断のための意見交換(ディスカッション)をはじめ、後輩と一緒に診て教育したり、臨床医への説明などにも使う。

だいたいはドライブする人(顕微鏡を操作して、標本の診たい場所を出す人)が、いろいろしゃべるのだが、これがクセもの。
いろいろ動かして、診断をしていくのだが、自分が知らない病変とかがあったりすると、困る。
最初から、難しいとわかっていればまだしも、結構簡単そうな症例を後輩に相談されたりすると、普段何でも知っている(わけではないが、ある程度は知っている)ような顔をしている手前、わからないことがあると困る。

あるとき、優秀な後輩に難しい症例を相談された。
わからないのは、良かったのだが、その後輩、けっこう論理的な診断能力が高く、さまざまな染色などを行った上で、正しい診断を下していた上で、私に持ってきたのだった。

そこに、運悪く、というか、ほかにも病理医が居合わせて、数人でディスカッション顕微鏡で標本を診ることとなった。
そこで、顕微鏡をドライブしていた私が、その後輩の診断の過程上の所見を見落としてしまった。
それを、一緒に診ていた別の後輩に指摘され、先輩としての面目丸つぶれとなってしまった。

穴があったら入りたいとは、まさにこのこと、そのとき恥ずかしかったことといったら、今でも忘れられない。

昔、そんなことを同期の病理医と話したことがあるが、そのとき、その病理医がこういったことも忘れないでいる。

 自分から何か言っちゃダメなんだよ、偉い先生っていうのは、うーん、とか唸ったっきり、何も言わないんだよ。

確かにそう。
これならば、間違いを言うことは絶対にない。

あと、私の先輩でこういう病理医もいた。

 お前、どう思う?

これもまた、素晴らしい。
同意できれば同意すればいいし、わからなければ、こっちもわからないと言えばいい。

とはいっても、結局のところ、どちらも後から考えれば相手に丸投げなのはバレバレである。

たまには大恥をかくことを覚悟の上で進むか、恥をかくのはよしとせず、常に相手に投げて進むか。

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