こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

何も考えずに生きるということ

忙しくて、いろいろ考えるヒマがないというのは、はたして良いことなのだろうか。
私が日々考えていることは、実際しょうもないことばかりだと思う。しょうもないことなど無益なことなのだから、何かを考えるよりは、何も考えないで生きるというほうが良いことなのかもしれない。


今日も一日、仕事仕事で、仕事以外のことは何も考えないで過ぎた。
気がついてみれば、午後8時過ぎ。

仕事というのは人様の為に何かをして、その何かに対しての対価を得るものであるのだから、仕事中は仕事以外のことを考えないというのは、当然といえば当然なのだけど、10時間以上主体性をもった思考が無い、ということは人間として、果たしてあって良いことなのだろうか。


心、考え、思い、なんでもいいのだけど、本質的に主体的に物事を進めるということはとても大切なことだと思う。
仕事にしても・・・私の場合病理診断だが・・・自分で考えて決定しているかのように見えるが、あくまでもそれは他者のための決定・・・患者さんという客体に対する診断・・・でしかない。
臨床医でいえば、「患者さんに振り回される」、病理医でいえば「臨床に振り回される」ということだ。
これは、何も医者に限った話ではない。社会活動に参加していれば誰しも起こっていることだ。

何も考えない、というのは実はこういうことなのかもしれない。そして、このようなことばかりでは、自分は見えなくなってしまう。
このようなことばかり続けていて、いざ本当に自分で何か考え、決定しなくてはならない局面で果たしてそんなことがいきなりできるだろうか。

主体性をもって、自分を考えてみる、そういう時間を毎日かならず持つことがとても大切だと思う。

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ