こんな気持ちでいられたら

昭和育ちの病理医。今日も顕微鏡を覗き込みながら、細胞1個1個と会話しています。

他者への無関心こそが危ない

ここ数日、心のこと、気持ちの持ち方というものをいつもちょっとだけ深く考えることとなった。

毎日のルーチンワークであっても、それを通して新しい”何か”に出会えることで元気が出るだろうと思って、「どんなワクワクが今日はあるかな?」の記事を書いた。すぐに怒ってしまう中高年についての天声人語の一方的な見方に対して疑問が湧いたので、「天声人語がライバルというわけではないけど」、を書いたら、思っていた以上にいろいろなコメントをいただいた。この記事といただいたコメントで感じたのは、他人との距離の取り方が難しいということ。だけど、ボケた私が三度の落とし物を経験して感じたことを記事にした、「落とし物・・・情け(親切)は人のためならず」は、人間社会の業が巡ることを示していたと思う。

そして、昨日の「どうすればいじめは無くせるのだろう」
単なる私の懺悔ではなくて、”どうすればいいのか”と考えてみた。

私の結論は、おせっかいと言われるかもしれないが、いじめを知ったらやめさせる、だ。

子供同士のいじめもいじめであるが、そこに私たちが直接関わることはまず無い。

私の言う”いじめ”は、大人がするいじめである。
親から子への躾というには度の過ぎたいじめ、夫婦間のDV、職場でのいじめ。
そういったものを私がみたり、自分がしていたりしたら、それは改めなくてはいけない。

そのためにはどうしなければいけないか。

それは、まわりのことに無関心にはならないということ。
”無関心”こそが、最大の危険なのではないか。

目の前で起きていることを目をつぶってやり過ごす。
それもあり、という人もいるし、非力であればそれもいたし方あるまい。

でも、それでも、何かはできるはず。と、私は思う。
いろんなことに、関心を持って、問題意識を持つこと。まずは、そこから始めてみよう。

考えれば考えるほど、そしてこれまでのことを思い起こすほどに、つくづく、私は大したことができる人間ではないと思ってしまう。
けれども、それを嘆いてばかりではいけない。少しでも、いい人間になっていきたいと思う。
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